モザンビークからこんにちは
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デンマンさん。。。 モザンビークから上の二人の女の子がデンマンさんのブログにやって来たのですか?
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そう思ったのですよ。
要するに、上の女の子たちはやって来なかったのですわねぇ。
いや。。。 やって来なかったと断定はできません。 おそらく、モザンビークの首都、マプト市に滞在している商社マンの家族か、あるいは外交官の家族の誰かが僕のブログを読みにやって来たと思うのですよ。
その証拠でもあるのですか?
まず次のページを見てください。
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■『実際のページ』
あらっ。。。 わたしが書いた英語の記事ですわね。
そうです。
でも、左サイドの足跡の記録にはカナダとアメリカとドイツの国旗しか見えませんよね。 モザンビークの旗はないではありませんか?
この時点で、最近訪れたネット市民の10人のうちに入らなかったので、左サイドの10人の足跡には出ていないのですよ。 でもねぇ、リストの一番下の Real-time view をクリックすると次のような詳しいリストが表示されのです。
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赤枠で囲んであるのがモザンビークからやって来た人の足跡ですか?
その通りです。
小さくてよく見えませんわね。
ジューンさんにもよく解るように拡大してみます。 じっくり見てください。
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モザンビーク時間で9月14日の午後6時57分に首都のマプト市(maputo)からアクセスしたのですわね。
そうです。 ライブドアの『☆☆The Sky's the Linit☆☆』というブログの「ハワイ出身のシンガーソングライター、Bruno Mars」のページから直接(Direct)やって来たのですよ。
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つまり、検索エンジンを使わずにデンマンさんのブログを目指して上のページから直接飛んで来たということですか?
その通りです。
でも、デンマンさん。。。 上のリストをよく見ると、同じ順序で同じ人がデンマンさんのブログから読みにやって来ていますよ。 偶然にしてはできすぎているのではありませんか?
うん、うん、うん。。。 実は、ジューンさんにそう言われてねぇ、僕も しみじみと見比べて、なんだか狐に鼻をつままれたような気がするほどですよ。
これってぇ、一体どういうことですか?
そうだよねぇ~、 リストを見比べると同じ順序で同じ人がやって来たとしか思えないよねぇ~。。。
FEEDJIT の担当者が、めんどうなので同じリストを それぞれのブロガーのページに貼り出しているのではありませんかァ~?
う~~ん。。。 その可能性があるかもしれません。
そうだとすると、モザンビークからデンマンさんのブログに読みにやって来るというのも怪(あや)しいのではありませんか?
そうかなあああァ~。。。?
デンマンさん!。。。 Denman Blog の海外からのアクセスリストを見てくださいな。
海外からのアクセス
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■『Denman Blog』
上の 88ヵ国の中にモザンビーク(Mozambique)は出てませんわよ。
確かに、その通りだけれど、ライブドアの『徒然ブログ』を読む人が、必ず『Denman Blog』を読むとは限らないでしょう?
でも、『徒然ブログ』のサイト提供者のライブドアと、『Denman Blog』のサイト提供者の WordPress.com を比べると世界的に知名度が高いのは ライブドアよりよりも WordPress.com の方ですわ。 それなのにモザンビークが 『Denman Blog』の海外からのアクセスリストに出てこないのは、どう考えても可笑しいと思いますわ。
確かに、ジューンさんの言うことは理(り)にかなっているけれど、でも、だからと言って、断定できないと思うのですよ。
じゃあ、モザンビークの人がデンマンさんの『徒然ブログ』を読みにやって来る理由は何ですか?
あのねぇ~、ちょっと次の検索結果を見てください。
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もしかして、かつてモザンビークの事を記事で取り上げているかなァ~? そう思って「モザンビーク デンマン」と入れて検索してみたのですよ。
あらっ。。。 引っかかったではありませんか?
そうなのですよ。 かつて次の記事を書いていたのです。
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■『安子さんとエスカルゴ』
(2009年4月19日)
。。。で、上の記事にはモザンビークのことが書いてあるのですか?
もちろんですよう。 だから、検索するとヒットするのです。
でも、デンマンさんはさっき、モザンビークからやって来た人は検索してやって来たのではなく、直接やって来たと言いましたよね。
そうです。。。 だから、以前に「モザンビーク」を入れて検索した時に上の僕の記事を読んで、それ以来常連さんになったのですよ。
それで、たまたま9月15日にデンマンさんの『徒然ブログ』にやって来たと言うのですか?
その通りです。
。。。で、どうしてデンマンさんはモザンビークを取り上げたのですか?
アフリカの国からアクセスするなんて珍しいからですよ。
モザンビーク
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モザンビーク共和国、通称モザンビークは、アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家である。
南に南アフリカ共和国、南西にスワジランド、西にジンバブエ、北西にザンビア、マラウイ、北にタンザニアと国境を接し、モザンビーク海峡を隔てて東にマダガスカルとコモロが存在する。
首都はマプト。
旧ポルトガル植民地であり、1964年からモザンビーク独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。
独立後も1977年から1992年までモザンビーク内戦(英語版)が続いた。
内戦終結後は好調な経済成長を続ける反面、HIV/AIDSの蔓延が問題となっている。
ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国である。
隣接国が全て英語圏の国家であるため、1995年からイギリス連邦に加盟している。
歴史
1498年にポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてこの地に到達したのをきっかけに、16世紀初頭より、ポルトガルの植民が始まり、17世紀半ばにはポルトガルの植民地支配が確立し、ポルトガル領モザンビーク・東アフリカの首都はモザンビーク島に置かれた。
モザンビークからは遥か遠くのブラジルにまで黒人奴隷が連行された。
1782年にロウレンソ・マルケスが建設された。
19世紀に入り、1858年にポルトガル領では奴隷制度が廃止されたものの、劣悪な労働環境による契約労働制により事実上の奴隷労働制度が続いた。
19世紀末に進んだアフリカ分割の中でポルトガルはモザンビークとアンゴラを横断しようとする「バラ色地図(ポルトガル語版)」計画を発表したが、1890年にイギリスの圧力に屈したポルトガルはザンビアとジンバブエとマラウイの領有を諦め、1891年の条約で現在のモザンビークの領域が確立された。
また、同1891年にポルトガル領モザンビーク(英語版)総督はイギリス・フランス資本の勅許会社、モザンビーク会社(英語版)・ニアサ会社(英語版)・ザンベジア会社(ポルトガル語版)に開発の権利と司法権を除く自治権を与えた。
このためポルトガルが旧宗主国であるにも関わらず、独立後にイギリス連邦の加盟国となっている。
また、ポルトガルの圧政に対し、1894年のロウレンソ・マルケス襲撃など先住民による抵抗運動が頻発したが、それらは全てポルトガル軍により鎮圧された。
1898年にモザンビーク島からロウレンソ・マルケスに植民地の首都が遷都され、以降ロウレンソ・マルケスはポルトガル領東アフリカの首都となった。
形式上の本国との対等の地位と、事実上の植民地政策の矛盾は隠せるものではなく、モザンビークでも1964年9月に、エドゥアルド・モンドラーネを議長としたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)がタンザニアを拠点に武装闘争を開始し、モザンビーク独立戦争が始まった。
マルクス主義を掲げ、ソ連の援助を受けていたFRELIMOは冷戦構造の中で西側諸国の脅威であり、そのためポルトガル軍も強権を以て解放軍に対処した。
1969年にモンドラーネは暗殺されたが、サモラ・マシェルらが後を継いで独立戦争を継続し、約10年を経てポルトガル本国でのカーネーション革命がきっかけとなり、1975年6月25日にモザンビークはモザンビーク人民共和国として完全独立を果たした。
独立後、出国したポルトガル系モザンビーク人に代わって権力を握ったFRELIMOは政党化し、一党制による社会主義路線を推進した。
社会主義を掲げるモザンビークは1976年の国連制裁決議に従って白人国家ローデシアの国境を封鎖したが、この措置はモザンビークとローデシア双方の経済に大打撃を与えた。
1977年にポルトガル領時代の元秘密警察PIDE(英語版)を母体としてローデシア諜報機関によって結成された反政府組織モザンビーク民族抵抗運動(MNR,RENAMO)は政府軍と衝突し、モザンビーク内戦(英語版)が勃発した。
イデオロギー的正当性を欠いていたRENAMOは、当初は成人男子や少年を強制徴収することによってしか兵力を集めることができず、暴力と恐怖を旨に学校や病院への襲撃作戦を遂行した。
1980年にローデシアが崩壊し、黒人国家ジンバブエが独立すると、アフリカにおける反共の砦を自認していた南アフリカ共和国はローデシアに代わってモザンビークとアンゴラの社会主義政権に対して不安定化工作を発動した。
南アフリカをはじめとする西側諸国の援助を受けたRENAMOは農村部で略奪、暴行を激化させたため、1984年にはモザンビークと南アフリカ両国の間にンコマチ協定(英語版)が締結され、南アフリカはRENAMOに対する支援を、モザンビークはANCに対する支援を相互に打ち切り、両国の間で不可侵条約が結ばれた。
しかし、その後も実質的にこの協定は反故にされ、以降も南アフリカによるRENAMO支援が続けられた。
さらに、1986年にはマシェル大統領が事故死し、後任としてジョアキン・アルベルト・シサノが新たな大統領に就任した。
出典: 「モザンビーク」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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モザンビーク共和国、通称モザンビークは、アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家である。
南に南アフリカ共和国、南西にスワジランド、西にジンバブエ、北西にザンビア、マラウイ、北にタンザニアと国境を接し、モザンビーク海峡を隔てて東にマダガスカルとコモロが存在する。
首都はマプト。
旧ポルトガル植民地であり、1964年からモザンビーク独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。
独立後も1977年から1992年までモザンビーク内戦(英語版)が続いた。
内戦終結後は好調な経済成長を続ける反面、HIV/AIDSの蔓延が問題となっている。
ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国である。
隣接国が全て英語圏の国家であるため、1995年からイギリス連邦に加盟している。
歴史
1498年にポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてこの地に到達したのをきっかけに、16世紀初頭より、ポルトガルの植民が始まり、17世紀半ばにはポルトガルの植民地支配が確立し、ポルトガル領モザンビーク・東アフリカの首都はモザンビーク島に置かれた。
モザンビークからは遥か遠くのブラジルにまで黒人奴隷が連行された。
1782年にロウレンソ・マルケスが建設された。
19世紀に入り、1858年にポルトガル領では奴隷制度が廃止されたものの、劣悪な労働環境による契約労働制により事実上の奴隷労働制度が続いた。
19世紀末に進んだアフリカ分割の中でポルトガルはモザンビークとアンゴラを横断しようとする「バラ色地図(ポルトガル語版)」計画を発表したが、1890年にイギリスの圧力に屈したポルトガルはザンビアとジンバブエとマラウイの領有を諦め、1891年の条約で現在のモザンビークの領域が確立された。
また、同1891年にポルトガル領モザンビーク(英語版)総督はイギリス・フランス資本の勅許会社、モザンビーク会社(英語版)・ニアサ会社(英語版)・ザンベジア会社(ポルトガル語版)に開発の権利と司法権を除く自治権を与えた。
このためポルトガルが旧宗主国であるにも関わらず、独立後にイギリス連邦の加盟国となっている。
また、ポルトガルの圧政に対し、1894年のロウレンソ・マルケス襲撃など先住民による抵抗運動が頻発したが、それらは全てポルトガル軍により鎮圧された。
1898年にモザンビーク島からロウレンソ・マルケスに植民地の首都が遷都され、以降ロウレンソ・マルケスはポルトガル領東アフリカの首都となった。
形式上の本国との対等の地位と、事実上の植民地政策の矛盾は隠せるものではなく、モザンビークでも1964年9月に、エドゥアルド・モンドラーネを議長としたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)がタンザニアを拠点に武装闘争を開始し、モザンビーク独立戦争が始まった。
マルクス主義を掲げ、ソ連の援助を受けていたFRELIMOは冷戦構造の中で西側諸国の脅威であり、そのためポルトガル軍も強権を以て解放軍に対処した。
1969年にモンドラーネは暗殺されたが、サモラ・マシェルらが後を継いで独立戦争を継続し、約10年を経てポルトガル本国でのカーネーション革命がきっかけとなり、1975年6月25日にモザンビークはモザンビーク人民共和国として完全独立を果たした。
独立後、出国したポルトガル系モザンビーク人に代わって権力を握ったFRELIMOは政党化し、一党制による社会主義路線を推進した。
社会主義を掲げるモザンビークは1976年の国連制裁決議に従って白人国家ローデシアの国境を封鎖したが、この措置はモザンビークとローデシア双方の経済に大打撃を与えた。
1977年にポルトガル領時代の元秘密警察PIDE(英語版)を母体としてローデシア諜報機関によって結成された反政府組織モザンビーク民族抵抗運動(MNR,RENAMO)は政府軍と衝突し、モザンビーク内戦(英語版)が勃発した。
イデオロギー的正当性を欠いていたRENAMOは、当初は成人男子や少年を強制徴収することによってしか兵力を集めることができず、暴力と恐怖を旨に学校や病院への襲撃作戦を遂行した。
1980年にローデシアが崩壊し、黒人国家ジンバブエが独立すると、アフリカにおける反共の砦を自認していた南アフリカ共和国はローデシアに代わってモザンビークとアンゴラの社会主義政権に対して不安定化工作を発動した。
南アフリカをはじめとする西側諸国の援助を受けたRENAMOは農村部で略奪、暴行を激化させたため、1984年にはモザンビークと南アフリカ両国の間にンコマチ協定(英語版)が締結され、南アフリカはRENAMOに対する支援を、モザンビークはANCに対する支援を相互に打ち切り、両国の間で不可侵条約が結ばれた。
しかし、その後も実質的にこの協定は反故にされ、以降も南アフリカによるRENAMO支援が続けられた。
さらに、1986年にはマシェル大統領が事故死し、後任としてジョアキン・アルベルト・シサノが新たな大統領に就任した。
出典: 「モザンビーク」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Travel Guide to Maputo
The Beaches of Maputo
首都はずいぶんと立派になったけれど、近郊の村々は、まだまだ、ずいぶんと貧しいのですよ。 それに、子供たちがいろいろな問題を抱えている。
どうして、そのよなことがデンマンさんに解ったのですか?
ネットでモザンビークのことを調べればすぐに解りますよ。
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モザンビークのアデリアちゃん
モザンビークのロザリアちゃん
モザンビークのジョセくんとルシアちゃん
昔から比べれば良くはなっているのでしょうけれど、やっぱり、村の暮らしはずいぶんと貧しいようですわね。 それに内戦の影響でしょうか?。。。 両親を亡くした子供も多いようですね。
貧困の中を懸命に生き抜いている子どもたちを見ると、かえって僕の方こそ勇気付けられますよ。
デンマンさんも、モザンビークの未来を担って立つ子どもたちが夢をかなえ、希望ある人生を歩めるようにチャイルド・スポンサーシップに参加したらどうですか?
うん、うん、うん。。。 今夜寝ながらじっくりと考えてみますよ。
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
どうですか?
日本にもいろいろな問題がありますけれど、アフリカの貧しい国々から比べれば、まだまだ日本は平和で豊かな国なのでござ~♪~ますわよね。
あなたも、そう思いませんか?
貧しい子供たちを見ていたら、あたくしはお腹(なか)の虫が鳴きだしましたわ。
ちょっと次の写真を見てくださいなァ。
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上の写真を見ているだけで あなたのお腹の虫も鳴いてきますでしょう?
次の写真も見てくださいましなァ。
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なんと 上のお寿司は外人の方が作ったものなのですわ。
どのようにして作ったのか次のビデオクリップをクリックして見てくださいな。
あたくしも経費節約のために、お寿司屋さんに行くのは止めて さっそく作ってみますわ。
ところで、ジューンさんの面白いお話はたくさんあります。
興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましね。
■『エロスのバンクーバー』
■『世界を駆け巡る日本人』
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■『あらっ、パンツが…』
■『わたし的にはOKです』
■『国際感覚ダントツ』
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■『国際化と英語』
■『肥後ずいきと国際化』
■『おばさんパンツを旅する』
■『カウチポテト』
■『やらしくさわるの?』
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■『下つき肥後ずいき』
■『おばさんの下着』
■『海に佇むロトの妻』
■『紅のおばさんパンツ』
■『白人女性志向』
■『肥後ずいきとおばさんパンツ』
■『ジューンさんとトイさん』
■『鼻血が出るぐらいのエロ漫画』
■『処女とおばさんの下着』
■『ツイッターと国際語』
■『おばさんの下着姿に見るSEO』
■『おばさんの下着とポスト資本主義』
■『桜と絹とツイッター』
■『おばさんバンザイ!』
■『おばさんバンザイの第2波』
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■『国際化でおばさんバンザイ!』
■『真夜中の乙女たち』
■『おばさんの下着@リアルタイム』
■『つぶやきブログとジューンさん』
■『熟女下着』
■『熟女下着に見るSEO』
■『ドーハからの人』
■『パラグアイからコンニチワ』
■『ツイッターの誘惑』
■『ノートルダムからジェーン・エア』
■『ジューンさん、人気が出てますよ』
とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。
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ですってぇ~。。。
どうですか?
日本にもいろいろな問題がありますけれど、アフリカの貧しい国々から比べれば、まだまだ日本は平和で豊かな国なのでござ~♪~ますわよね。
あなたも、そう思いませんか?
貧しい子供たちを見ていたら、あたくしはお腹(なか)の虫が鳴きだしましたわ。
ちょっと次の写真を見てくださいなァ。
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上の写真を見ているだけで あなたのお腹の虫も鳴いてきますでしょう?
次の写真も見てくださいましなァ。
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なんと 上のお寿司は外人の方が作ったものなのですわ。
どのようにして作ったのか次のビデオクリップをクリックして見てくださいな。
あたくしも経費節約のために、お寿司屋さんに行くのは止めて さっそく作ってみますわ。
ところで、ジューンさんの面白いお話はたくさんあります。
興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましね。
■『エロスのバンクーバー』
■『世界を駆け巡る日本人』
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■『あらっ、パンツが…』
■『わたし的にはOKです』
■『国際感覚ダントツ』
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■『国際化と英語』
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■『おばさんパンツを旅する』
■『カウチポテト』
■『やらしくさわるの?』
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■『おばさんの下着』
■『海に佇むロトの妻』
■『紅のおばさんパンツ』
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■『肥後ずいきとおばさんパンツ』
■『ジューンさんとトイさん』
■『鼻血が出るぐらいのエロ漫画』
■『処女とおばさんの下着』
■『ツイッターと国際語』
■『おばさんの下着姿に見るSEO』
■『おばさんの下着とポスト資本主義』
■『桜と絹とツイッター』
■『おばさんバンザイ!』
■『おばさんバンザイの第2波』
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■『国際化でおばさんバンザイ!』
■『真夜中の乙女たち』
■『おばさんの下着@リアルタイム』
■『つぶやきブログとジューンさん』
■『熟女下着』
■『熟女下着に見るSEO』
■『ドーハからの人』
■『パラグアイからコンニチワ』
■『ツイッターの誘惑』
■『ノートルダムからジェーン・エア』
■『ジューンさん、人気が出てますよ』
とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。
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ィ~ハァ~♪~!
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こんにちは。ジューンです。
スパムメールが相変わらず多いですわよね。
あなたのメールボックスにも、
ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?
スパムメールを飛ばしているのは
いったい、どういう人たちなのでしょうか?
出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。
彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。
そのためにメールアドレスのリストを購入しています。
では、そのようなリストを販売している人は
どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?
ロボット(自動巡回プログラム)によって
自動収集させているのです。
ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは
毎日世界中のサイトを訪問し、
その内容をデータベースに書き込んでいます。
同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、
HTMLソースを分析し、
メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。
でも、使っていないメールアドレスが
たくさんあるのですよね。
あなたの使っているメールアドレスのことを
考えてください。
あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?
一つだけではないでしょう?
10以上持っているのではありませんか?
多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?
そのために、現在実際に使っている
メールアドレスを集めるために、
怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを
集めているのですわよ。
だから、あなたもむやみに信用できない人に対して
返信しないようにしてくださいね。
詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。
■『コメント魔』
(2012年4月3日)
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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。
興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてください。
(sylvie122.jpg)
■『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ
(juneswim.jpg)
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