レオナルドのADHD
注意欠陥移動性障害(ADHD)
レオナルドは膨大な偉業の数々を残しているが、その数に匹敵するほどの苦悩や奇異な側面をもっていたことも忘れてはならない。 彼は際限のない情熱、比類のない独創性、超越的な意欲をもっている一方で、非常に変わった人格の持ち主であったのだ。 知れば知るほど、いろいろな矛盾と皮肉が見えてくる。 しかし、これらの矛盾の原因について論じたり、彼が偉業のどこまでを意図的になしとげ、どこからは偶然だったのかを推理したりすることは、結局は憶測にすぎない。
(中略)
締め切りを守らないという困った側面についてだが、彼の移ろいやすい集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向は、注意欠陥移動性障害(ADHD)の一種によるものだったのだろうか。
それとも単に限られた寿命で多すぎる数の構想を実現させようとしただけなのか。 一般的には、特定の現象にレッテルを貼ると実際よりも単純化されて理解が浅はかになってしまうものだが、レオナルドの行動に短絡的な原因を見いだして説明しようとすること自体、愚の骨頂だといえよう。
(中略)
レオナルドの人生は、ある瞬間は荘厳な美しさと力強さの吹きこまれた絵画を制作していたかと思えば、次の瞬間にはがらりと変わって川の流れを観察したり、多面体の幾何学を研究したり、人や動物の解剖を行ったり、人の飛翔に思いをめぐらせたり、ぜんまい仕掛けの自動車の構想を練ったり、そして気がつくと再び奇跡的な芸術傑作をつくているというように、まるで万華鏡のようなめまぐるしい変化が常であった。 その負の遺産として、手厚く庇護してくれたパトロンでさえあきれてしまうほど、未完成のまま放置されたプロジェクトも数多い。
あわただしく多様な活動に次々と没頭したレオナルドの活動様式こそが彼の真骨頂である。
(中略)
レオナルドの取り組んだすべての活動は共益関係にあり、たがいの相乗効果によって高め合っていたのである。 彼のあらゆる創造的活動のなかから、彼の個人としての成長をうかがい知ることもできるが、同時に彼がさまざまな「頭の体操」を自分に課して意図的に成長を促そうと努力していた様子も見受けられる。 「無学の人」であたレオナルドは、己を向上させようと苦労を重ねる独学者の姿勢そのままに、知らない単語にでくわすと、あとで調べるためにそれをノートに書き続けたのである。
(中略)
レオナルドは絶えず物事のつながりを見いだすことにいそしんだ。 それを後押ししたのは、年齢を重ねてもまったく衰えを見せなかった子どものような飽くなき好奇心であった。 大人になっても好奇心が失せないという性格的な特徴は、ニュートンやアインシュタイン、そしてモーツァルトなど、それぞれの分野の最高峰で活躍した人たちの多くがもち合わせていたものである。
アインシュタインの「私たちが体験できる最も美しいものは、自分にとって謎めいていて神秘的な存在のものである。その神秘性こそがあらゆる真の芸術と科学の源である」という発言には、彼が生涯もち続けた好奇心が現れているといえよう。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人
デンマンさん。。。あんさんはレオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていたと思ってはるのォ~?
上の文章を読むと、そんな気がしてくるねん。 めれちゃんもそう思わんか?
なんだか、嫌な予感がしてきますねん。
どないな訳で。。。?
あんさんは、わたしのことでかつてADHDの記事を書きましたやんかア。
めれちゃんは、よう覚えておるなァ~。。。
どうせ、わたしのことをまた書きますのやろう?
あのなァ~。。。レオナルド・ダ・ヴィンチがADHDを患っていた。。。そして、めれちゃんも過去にADHDを患っていた。。。つまり、それがレオナルド・ダ・ヴィンチとめれちゃんの共通点なのやがなァ~。。。要するに、めれちゃんにもレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能があるねん。
そんな事を言ったらADHDを患ってる人は、すべてレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術的才能を持っていることになりますやん。
わては、そこまで敷衍(ふえん)して言うつもりはないねん。 ただ、ADHDと芸術的な才能は、もしかすると関係があるのではないか? そう思うたのやァ。 めれちゃんも次のように書いてたやんかァ。
愛の行為に熱中するのは
わたしのADHDと
関係あるようです。
2007-03-09 04:29
わたしは境界性人格障害をほぼ克服しましたよ!
まだまだ、努力の余地は大いにありますが、
「もう、ボダとは呼ばせないわ!」って感じです。
そして、過去の自分の未熟さを痛感しています。
しかし...
検査の結果わかったのですが、
わたしは、幼児期からのADHD患者だということです。
あれって、治らないらしいんですよね...
でも脳の器質的疾患ですので、
わたしは現在、精神的にはいたって健全であります!
ADHDのおかげで、プラスになっていることもあります。
ある分野での、集中力と記憶力が
過剰なほどに突出しているそうです。
でも、困ることのほうが多いかなあ...
有名な「片付けられない」「飽きっぽい」など、
ADHDの典型的な症状も、
しっかり持ち合わせてますー(泣)
セックスがわたしにとって重要であるというのは、
性行為においては、注意力、集中力の持続がしやすい、ということにあるようなのです。
ADHDであるということが、判明する前からわたしは、本能的にそのことを、知っていたのかもしれませんね。
by レンゲ
ADHD (attention-deficit hyperactivity disorder) とは、注意欠陥/多動性障害のことで、注意力の障害と多動・衝動性を特徴とする行動の障害です。
具体的な症状としては 以下の症状があると言われています。
1) 注意障害
注意が持続できない、必要なものをなくす、注意がそれやすい、毎日の活動を忘れてしまう、など
2) 多動性
手足をそわそわ動かす、離席が多い、走り回ったり高いところへ上がったりする、じっとしていない、しゃべりすぎる、など
3) 衝動性
質問が終わらないうちに答えてしまう、順番を待つことが苦手、他人にちょっかいを出す、など
これらの症状が少なくとも6か月以上続き、集団や家庭の中で、あるいは友達関係において不適応を起こしていて、まわりも本人も困り、生活上なんらかのサポートが必要な場合を指すといわれています。 しかし、もともと子どもは好奇心にあふれ行動的です。以上の状況だけで安易にADHDと診断されるものではありません。専門医によって診断されるものです。
SOURSE: 『東京都福祉保健局』
『愛と性とADHD』より
(2007年4月25日)
デンマンさん。。。このような手記を公開して欲しくないわ。
あのなァ~、わてはめれちゃんのプライバシーを尊重しているでぇ~。 そやけど、このような手記はADHDを患っている人の心の助けになると思うねん。
それで、わたしの意志に無関係に、こうして公開してしまうのォ~?
めれちゃんの気持ちが分からんことはないねん。 そやけど、すでに2007年に上の手記は公開されてるねん。
つまり、あんさんはわたしのADHDを蒸し返しやはるのォ~?
いや。。。蒸し返すのではのうてADHDと芸術との関係を解き明かそうとしてるねん。
そやけど、レオナルドの芸術は「モナリザ」や「最後の晩餐」ですやろう。。。
つまり絵画ですやん。 わたしとは関係あらへんと思うわ。
どうして。。。?
そやかてぇ、レオナルドは詩や小説や散文を書いてへんでぇ~。。。
それは、めれちゃんの独断と偏見というものやァ。 確かにレオナルドは小説を書いてへん。 そやけど、驚くほどの手稿を残しておるねん。
レオナルドの手稿
国王に即位したばかりのフランソワ一世の招きで、1526年、レオナルドは二人の弟子を引きつれて人生最後の3年間を過ごすことになるアンボワーズへと旅だった。 このときの荷物のなかには、レオナルドが大事にしていた本のコレクション、《モナ・リザ》を含む2,3点の絵画、そしてはちきれそうなほど手書き原稿ををつめこんだ箱があった。 彼は生涯に 13,000枚から 14,000枚ほどの紙葉を書きつづったと推測されているが、現存するものはその3分の1以下である。
一部はミラノやフィレンツェに置き忘れた可能性もある。 しかし、レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を語っていることから、おそらく大部分はフランスまでもっていったはずである。 これらの紙葉はノートとして綴られていたり、大ざっぱに束ねられていたりしたが、どれもレオナルドの思考の奥深さ、とくに科学・数学・技術への関心の幅広さを浮き彫りにする内容となっている。
また、彼が自然の本質に迫る疑問を見いだし、実験を的確に計画してそれを解決する才能に秀でていたことがありありと見てとれる。 さらに、科学研究に取り組むものにとって不可欠な「偏見のない柔軟な思考」と「知的な正直さ」を、彼は徹底して実践していたこともうかがえる。 レオナルドの探求に制限や限界はなく、彼の書き残した原稿は、それまでの科学と技術が到達しえなかった未開の領域の詳細な地図だといえる。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
301 - 305ページ
『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人
分かるやろう? こうして多数の手稿を残しておるねん。 レオナルドは当時「120冊の本を書く」という野望を持っていたのやでぇ。。。
。。。で、その事とわたしがどないな訳で関係していると、あんさんは言わはるのォ~?
めれちゃんはレオナルドのように集中力とひっきりなしに新しい活動へ没頭する傾向があるねん。
その証拠でもあるのォ~?
もちろんやァ。。。めれちゃんの作品と、わてとのやり取りをちょっと読んでみィ~なァ。
う~♪~ん。。。
ええなあああぁ~
北京ダックのご馳走を見て
ヨダレがたれてくるぐらいに
ええやんかあぁ~~
奥深いところにあって、
くすぶり続けている
めれちゃんの愛欲と情欲が
あふれてくるんやなあああぁ~♪~
あああぁ~。。。悩ましいなあああぁ~
しかも、めれちゃんのビキニ姿は
軽井沢のプリンスホテル・スキー場で
ビキニ姿でスノボする小百合さんに
匹敵するぐらいに、すっげぇ~♪~やないかいなぁ~♪~
うへへへへ。。。
めれちゃんのビキニ姿を見ると
わては南米のリオのカーニバルを思いだすでぇ~
めれちゃんの情熱的な妖艶さと豊満さを感じるんやがなぁ~
ほんに、悩ましいなあああぁ~~
短歌にも、ビキニ姿にも
表現者・めれちゃんの表現力が遺憾なく発揮されてるがなぁ~
2009年は出だしから、めれちゃんは突っ走ってるでぇ~~
ええやんかぁ~♪~
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。
めれちゃんのビキニ姿から
わては、しばらく目が離せなかったでぇ~
この調子だと、年が明けるまでに
めれちゃんは子供を9人産んで
10年後には阪神タイガーズ・ジュニアの野球チームが作れるでぇ~
うへへへへ。。。
すごいなあああぁ~
でもなぁ~、マジになって、
めれちゃんの短歌を
もう一度じっくりと読めば
現代版・源氏物語のエロい雰囲気が漂ってくるでぇ~♪~
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
そうやがなぁ~。。。そうやがなぁ~。。。
あの源氏物語の「六条の御息所(みやすどころ)」が思い出されてくるのやがなあああぁ~
わてが『エロい女と六条の御息所』を書いたんは
もう2年前になるんやなあああぁ~
月日の経つのは、ホンに、早いなあああぁ~
めれちゃんと仲直りしたのは2006年のクリスマスやったなああぁ~。
懐かしいなあああぁ~
めれちゃんとの付き合いも2004年の7月に初めて出会ってからやから
2009年に入って、足掛け6年にもなるんやなあああぁ~
うん、うん、うん。。。感慨深いなあああぁ~
ところで、2007年の1月19日に、
わては次のような事を書いてたんやでぇ~
六条の御息所は
光源氏の初めての恋人。
年上の教養ある女性です。
気位の高い彼女は
源氏の心が自分から
離れそうになると、
自分の方から身を引きます。
でも、心の中では
光源氏への思いを断ちがたく、
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまいます。
六条の御息所は
それ程の激しい愛情で
光源氏を愛していたのでしょう。
平安の昔、
家柄が高く、
やんごとなき貴家ともなれば、
女児は未通で嫁入りする事が
絶対条件でした。
男児は元服が筆おろしの
目安だったようです。
その“筆おろし”ですが、
天皇や将軍などの場合だと、
その介添えをするのは乳母
の場合が多かったと
言われています。
乳母といっても
だいたい24~5歳の
当時としては
女盛りの年増。
元服(男児の成人式)が
12~16歳の間ですから、
互いに理想的な
相手です。
少年の未知への
飽くなき好奇心と
有り余る精力。
女盛りで少年の心を
充分に知っている“熟女”は
勢い教育熱心な余り、
乳母であるよりも女として、
つい愛欲に溺れてしまうのも
自然な成り行き。
その結果、
乳母が妊娠する事も
あったようです。
男にとって最初の女に
特別な思いを抱くのは当然で、
こうして乳母がそのまま
正室になることも珍しくなかった。
入念に手ほどきを受け、
手練手管を仕込まれたら、
男たるもの、
女好きにならないわけがない。
しかも乳母なるがゆえに、
他にさしたる仕事はなく、
男は心置きなく色事に専念できる。
光源氏にとって
六条の御息所は
乳母のような存在だったのでしょう。
それも、乳母と言うより
次第に女として愛してゆく。
六条の御息所も
“乳母”のように
源氏をいつくしみながらも
熟女として
源氏との愛に溺れてゆく。
でも、熟女の思慮と分別に
目覚めて身を引くのです。
しかし、萌え盛った
女の情念は止み難く
生霊(いきすだま)となり、
源氏の正妻「葵の上」を
とり殺してしまう。
光源氏と
六条の御息所の間に萌え盛った
情念の激しさが見えるようです。
by デンマン
『エロい女と六条の御息所』より
(2007年1月19日)
そうでんがなあああぁ~
この六条の御息所とめれちゃんが重なったんやでぇ~
萌え盛った情念の激しさを
わては、めれちゃんの短歌の中に見つけたんやがなあああぁ~
ああああぁ~♪~。。。悩ましいなあああぁ~♪~
めれちゃんも魅惑的な“熟女”になったんやでぇ~
一人寝が寂しくなる事もあるやろなぁ~
そう言う訳で、また、めれちゃんにインスパイアされて
どうしても返歌を詠みたくなってしもうたんやぁ~
聞いてやぁ。
罪深き
ことと言えども
きみゆえに
われは求める
熱きくちびる
柔肌に
熱き血潮を
秘めながら
きみは濡れたり
萌え萌えになり
いつまでも
きみのぬくもり
この腕に
別れがつらい
朝顔のつゆ
朝まだき
きみは涙で
見送るも
まだ覚めやらぬ
愛のぬくもり
めれちゃんや
ああ、めれちゃんや
めれちゃんや
きみの短歌に
ムレムレになり
うしししし。。。
最後は、関西人のめれちゃんのウケ
をねらって、こころならずも
ギャグをこめた狂歌で閉めくくりました。
じゃあねぇ。
\(^δ^)/ キャハハハ。。。
2009-01-15 07:46 AM
『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より
デンマンさん☆
真冬にビキニのめれんげです。
この短歌を読んで、
六条の御息所を思われるとは、
さすがデンマンさんですね。
小百合さんは、ビキニでスノボですか...
その度胸は、さすがにありませんね~:p
わたしは部屋でビキニですね。
暖かいです(笑
めれんげ
2009/01/15 10:34 AM
『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より
『愛のコラボと欺瞞』より
(2010年2月12日)
分かるやろう、めれちゃん? 上の短歌を読むとレオナルドのように集中力と表現力、それに、ひっきりなしに短歌を詠むという活動へ没頭する傾向があるねん。
そやけど、わたしの短歌というよりも、あんさんが詠みはってますやん。
あのなァ~。。。めれちゃんが仰山(ぎょうさん)な愛の短歌を詠んださかいに、わてはインスピレーションを受けて詠んでしもうたのやないかいなァ。 めれちゃんの短歌の数に比べれば、わしが詠んだ短歌なんて知れたものやァ。
そやけど、レオナルドは短歌など読みはらへんかったでぇ~。。。
確かにレオナルドは短歌を詠まへんかった。 そやけどなァ、ひっきりなしに 13,000枚から 14,000枚ほどの手稿を書いたのやがなァ。 ちょうどめれちゃんが短歌を詠みまくったように。。。
それで、あんさんは何が言いたいねん?
あのなァ~、めれちゃんは確かにレオナルドのような集中力をもっておるのやけれど、同じようにその集中力が移ろいやすいのやァ。
その証拠でもあるのォ~?
もちろんやァ。 めれちゃんは次のようにブログを書きまくったやないかいなァ!
『即興の詩』サイト
■『極私的詩集』
■『めれんげの原材料』
確かに、わたしは幾つかのブログを書きましたァ。 それで、それがどないやと、あんさんは言わはるのォ~?
つまり、レオナルドのように集中力をもって、めれちゃんはブログをたくさん書いたのやがなァ。 ところがその集中力がレオナルドのように移ろいやすいのやァ。 それで、めれちゃんの手記にも書いてあるとおり「飽きっぽい」ところもあるねん。 あれだけ一生懸命に書いていた『即興の詩』サイトをめれちゃんは閉鎖してしもうた。
わたしは、それほど一生懸命に書きましたやろか?
めれちゃん!。。。何を惚(とぼ)けた事を抜かしてけつかんねん!? 次のような事を書いていたやないかいなァ!
デンマンさん♪
ありがとうございます!
このブログも、けっこう長くなって
わたしにとっては、とても大切なものに
なりました。
応援してくださる方の存在は、
何よりの宝物。
これからも、よろしくお願いします!
by めれんげ
2008/08/21 7:13 AM
『即興の詩 めれんげ便り』のコメント欄より
『即興の詩バンザイ』に掲載
(2010年12月4日)
分かるやろう、めれちゃん!? 『即興の詩』サイトは、めれちゃんにとって大切やったのやがなァ。
言われてみれば、確かにこのような事を書いた覚えがありますわ。
そうやろう!?
。。。で、あんさんはわたしにどうしろと言わはるのォ~?
別に、ああしろ、こうしろ、と言うつもりはないねんけど、かつて『即興の詩』サイトには、たくさんのネット市民が訪れたのやがなァ。
その証拠でもあるのォ~?
もちろんやァ。。。わては根拠の無い事は言わへんでぇ~。。。次の統計を見たらええやん。
分かるやろう、めれちゃん!? 多い時には『即興の詩』サイトに1日で 2、000人のネット市民が訪れたのやでぇ~。。。
マジかいな?
マジもヘチマも。。。上の訪問者のグラフを見れば、ちゃんと記録されてるやんかァ! それなのに、めれちゃんは気まぐれから『即興の詩』サイトを閉鎖してしもうた。
気まぐれではないねん。 わたしは十分に考えた末に閉鎖しましてん。
どのような理由であれ、めれちゃんが『即興の詩』サイトを閉鎖して、他のブログを全く更新してへんということは、極めて惜しいことなんやでぇ~。。。
どないな訳で。。。?
あのなァ~。。。レオナルドを見習ったらどうやねん? レオナルドも「飽きっぽい」ところがあって、集中力が移ろいやすかったけど、手稿を書き続けることは止めへんかったでぇ~。。。
わたしも短歌を書き続けておりますゥ。
そやけど、ブログを更新しておらへんがなァ。
ブログはお休みしてますねん。 でも、ちゃんと短歌も詩も小説も書いてますう。
そやから、それをブログに載せればええやん。 詩集を作るとか小説を出版することなど、もう時代遅れやねん。 これからはネットの世界やでぇ~。。。
そうですやろか?
“信じる者は救われる”
昔の人はこのように言うたのやでぇ~。。。めれちゃんも自分の才能を信じて作品をどんどんネットで発表すればええのやがなァ。
ネットで発表するだけの値うちがありますやろか?
あるねん。 めれちゃんの作品を注目している人が居るやないかいなァ。
どこに。。。?
もう忘れてしもうたのか? ライブドアのサイトに岩下俊三さんが次のようなコメントを残したやないかいなァ!
新しい才能を直感
つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。
こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。
孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。
小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、
というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。
ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。
岩下俊三
July 30, 2009 17:00
『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』の
コメント欄より
『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)
分かるやろう? めれちゃんの才能を見つけた人がこうして居(お)るねん。 そやから、自分を信じてこれから作品をどんどんネットで発表したらええやん。
分かりました。 今晩じっくりと考えてみますう。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
そうですよね。
めれんげさんには、もっともと頑張って欲しいと思いますよね。
あなただって、そう思うでしょう?
おそらく、岩下俊三さんは、めれんげさんの作品に共感したのだと思いますわ。
ところで、デンマンさんが“共感脳”のことで面白い話を書いています。
もし時間があったら、あなたも次の記事を読んでみてくださいね。
■『共感脳の話』
(2011年6月3日)
とにかく、次回も面白くなりそうですわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
メチャ面白い、
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■『愛の進化論』
■『漫画家と平和(2011年3月6日)』
■『漫画家の壁(2011年3月10日)』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』
こんにちは。ジューンです。
かつて、フルーツブログでは「セックス」が禁止語でした。
「セックス」を禁止用語にするなんて、
ちょっと考えられませんよね。
呆れて開いた口がふさがりませんわ。
「セックス」を禁止用語にしたその管理人さんは
性的不能者なのでしょうか?
そのように、かんぐってしまいますよね。
あなたも、滑稽な事をすることはあっても、
そのような愚かな事だけはしないでくださいね。
うふふふふふ。。。
ところで、英語の面白い話をまとめました。
興味があったら、
次のリンクをクリックして
読んでください。
■ 『あなたのための 楽しい英語』
■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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