2011年6月21日火曜日

飛鳥坐神社

 
飛鳥坐神社




MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Jun 10 2011 / 04:52:14

userid = barclay1720
Your_Name = Gペガサス
Your_Email_Address = galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp

Comments:


はじめまして。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。



最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。

このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!




デンマンさん。。。どうして飛鳥坐神社などを持ち出してきたのですか?



もちろん、日本語が分かる世界のネット市民の一人からコメントをもらったからですよ。

。。。で、マジで「飛鳥坐神社」は「あすかにます・じんじゃ」と読むのですか?

コメントをもらって、僕はなんだか青天の霹靂(へきれき)のような気がして、すぐに『ウィキペディア』で調べてみたのですよ。


飛鳥坐神社

所在地 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。
式内社(名神大)で、旧社格は村社。

祭神

延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。
現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座であるが、多くの異説がある。

•『大神分身類社鈔』 -- 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命

•『五郡神社記』 -- 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神

•『社家縁起』 -- 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命

•『出雲國造神賀詞』 -- 「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」との記述がある。

また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。

歴史

創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、雷丘から現在の鳥形山へ遷座した。

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。平成13年(2001年)再建から200年を経て社殿が老朽化してきたことから、吉野の丹生川上神社上社が大滝ダム建設に伴い移築するに際し、旧社殿を譲り受け再建した。

祭事

2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。
境内には、男性器を模した石が多く安置されている。



(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。マジで「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と書いてありますわね。



でもねぇ、上の説明を読んでみただけでも2つの読み方があるわけですよ。 だから、「あすかざじんじゃ」という読み方が500年ぐらい経つと3つ目の読み方として定着するかもしれないのですよ。

でも、現在では、「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と読むのだから、やっぱり、それに従うべきだと思いますわ。。。で、どうして記事を書くときに調べなかったのですか?

あのねぇ~、僕は「飛鳥坐神社」を素直に「あすかざじんじゃ」と読んでいた。 これ以外に他の読み方があろうとも思えなかった。

だから調べなかったのですか?

いや。。。実は念のためにGOOGLEで検索してみたのですよ。

そしたら「あすかざじんじゃ」とう読み方が出ていたのですか?

そうなのですよ。 記事を書いた2003年8月当時は、まだ『ウィキペディア』が今ほど使われていなかった。 少なくとも、僕は『ウィキペディア』よりも、まず先にGOOGLEで検索してみるのが習慣になっていた。

それで、「あすかざじんじゃ」とう読み方が検索結果に出ていたので、疑いなく「あすかざじんじゃ」と書いたのですか?

そうなのですよ。 

それで、デンマンさんが書いた笑える記事って、どんなものなのですか?

いや。。。僕の記事が笑えるんじゃなくて、僕の読み間違いが笑えるとコメントを書いた人は言っているのですよ。 小百合さんのためにここに貼り出しますから読んでみてね。


飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と

古代ギリシャの

ディオニソス神話



by Akira Kato (デンマン)


August 2, 2003




Dionysos festival (dithyramb4.jpg--520x409)






ディオニソス誕生祭

(Dithyrambos)



【元々の意味: ディオニソスは2度生まれた】







Mascot girl Himiko as a Greek woman (greek02.gif--212x438)
案内役の卑弥子こでーす。
こんにちは。あたくし、今回は古代のギリシャ民族衣装を着てみました。
どうしてかって、お尋ねですか?

もちろん、気まぐれなどではありませんよ。
ちゃんと理由があります。というのは、ギリシャの神話には欠かせないディオニソスについてお話しするためです。


先ず、この上の絵を見てください。祭りを祝う人の輪の真ん中に置かれている石造物、これ、何だか分かりますか?
もし、前のページを見ているならばすぐに分かると思います。
そうです、飛鳥で見られる「マラ石」なのです。本物は16フィート(4.8メートル)もあるんですよ。



上の「マラ石」と同じものを次の写真で示します。
これはギリシャのデロス島にあります。





Phallus at Delos (phallus1.jpg--208x199)




World map (worldmp3.gif--471x266)



比較のために、飛鳥の「マラ石」をもう一度ここに披露します。




Stone penis (maraishi2.jpg--410x312)



古代のギリシャでは、飛鳥にある飛鳥坐神社と同じように豊饒の儀式を行います。
飛鳥坐神社の神事は神社の舞台で行われますが、ギリシャの場合には屋外です。
この点を除くと、この2つの祭りは非常に良く似ています。
ギリシャでは「マラ石」はディオニソスの化身だと考えられています。



飛鳥坐神社には4柱の神様が祭られています。しかし、2月の第1日曜日に、御田(おんだ)祭と呼ばれる民族学的に、きわめて珍しい神事は、この4柱の神様のなかでも、とりわけ子宝と関係の深い御皇産霊神(たかみむすびのかみ)がギリシャのディオニソスとちょうど同じような役目をするようです。
この御皇産霊神は、飛鳥坐神社の境内の奥に祭られています。そのお姿は次の写真で示すとおり、なんと「マラ石」なのです。




Stone Penis at Asukaza Shrine (tengu07b.jpg--301x375)


奥の大石 御皇産霊神

(たかみむすびのかみ)


確かに似ているようです。古代ギリシャのディオニソスと御皇産霊神(たかみむすびのかみ)、ディオニソス誕生祭と飛鳥坐神社の御田(おんだ)祭。



しかし何と言っても、ギリシャと日本の距離は、ペルシャと日本の間よりもさらに遠いのです。
果たしてこれらのものは関連があるのでしょうか?では、このあたりで加藤さんにバトンタッチいたします。





ディオニソス誕生祭の起源





ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。
ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。



この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が“orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで“orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。


ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。
祭りの時には、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊ってドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。



ディオニソス神話

ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。
夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。



彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。
「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」



それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。



しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。
ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。
一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。



成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。
こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。



マラ石はどのように伝わったのか?

上の神話に出てくるぶどう酒というのがキーです。日本へも間違いなくぶどう酒が伝えられたはずです。
なぜ、そういうことが言えるのか?それは、正倉院にワイングラスがペルシャから伝わっているからです。




Wine glass at Shousou-in (winglass.gif--284x360)



このグラスがどのように造られ、どのように大和へ伝わったか、ということは、このページ (飛鳥とシルクロード)で説明しています。
リンクをクリックすると新しいウィンドーが開きます。読んでください。



ワイングラスだけ伝わって、ぶどう酒が伝わらなかったというのもおかしな話です。私は、間違いなく伝わったと思います。ただし、日本の土壌には当時ぶどうの木がうまく根付かなかったのでしょう。あるいは、ぶどう酒が、酒に親しんでいた当時の日本人の口に合わなかったのかもしれません。あるいは、あまりにも高価だったので、庶民の口には届かなかったのかもしれません。



いずれにしても、ぶどう酒が日本へ伝わっていたということは、酒船石などというものが石造物の中にあることからも、傍証できます。
ペルシャ人がぶどう酒を作るために造ったのがこの酒船石ではないか、と私は見ています。
このことについては、このページ (酒船石の謎)で説明します。



ペルシャから伝わったものは、この他にもまだたくさんあります。狛犬や唐獅子も、元はといえば、ペルシャからつたわってきたものです。
このことについては、このぺージ (ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た)で述べています。



ワイングラスも伝わった。ぶどう酒も伝わってきた、狛犬も、唐獅子も、ペルシャから伝わってきた。ペルシャ人の石工さえ流れ流れて、
お隣の中国から半島づたいにやって来た。
聖徳太子の個人教授の中にもペルシャ人が居たほどです
しかも、聖徳太子の体内には、16分の1だけペルシャ人の血が流れていたかもしれない。これまでのページの中で述べてきただけでも、このように、ペルシャ人の存在が、チラチラ古代史の中に見え隠れしているのです。



だとするなら、なぜ「マラ石」だけが、伝わらなかったのか?という素朴な疑問が頭をもたげます。むしろ、伝わってきて当然だ、と言いたいわけです。



だけど、マラ石は日本独自に

作られたのではないの?




もちろん、その可能性が全くないとは言いません。日本には昔から、道祖神といわれる石造物が各地にありました。

しかし、平安時代に始まったということぐらいで、はっきりしたことは分かっていないようです。



平安時代も含めて、それ以降も村や荘園に住む百姓は、自由ではなかったのです。なぜなら地頭や領主の方針で百姓は土地に縛り付けられていたわけです。
そのようなわけで、よそへ行くことに慣れていなかった。だから、よそ者に対しても警戒の目を向けました。
また、よそからどんな悪霊が村に入ってくるかもしれない、という心配もありました。

村の境界は、あの世とこの世の境目だとも考えられていて、常に神聖な場所とされていました。 そこで、村を守るために道祖神がそういう道の分岐点などにまつられたわけです。



道祖神


道祖神は、塞の神(さえのかみ)とも呼ばれていて、疫神や悪霊などが村に入ってくるのをくいとめたり、追い払う神としてあがめられました。また、旅の神、生殖の神ともされたのです。

この道祖神は、元々「マラ石」から派生したのではないかと私は推定しています。
このページの初めに掲げた飛鳥坐神社の近くにあるマラ石は道祖神の先駆者じゃないかと見ています。

なぜか?


飛鳥坐神社の奥に祭られている御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体こそ、道祖神の原型で、「マラ石」は集落を守るために道端に置かれたのではないか?そう見ています。




Dousojin (dousojin3.jpg--136x164)Dousojin (dousojin4.jpg--131x201)



従って、「マラ石信仰」が広くその土地の人々に受け入れられている間は、上の左に示すような、立派なペニスの形をとどめていますが、
やがて、「マラ石信仰」が仏教に取って代わられてゆきます。そうすると、時代が下るに従って、この形を目にすることに馴染めないものを感じ始めてきます。
要するに、仏教というニューファションが広まると、「マラ石信仰」の石造物の形がダサイ物に見えてくるわけです。そうなると、左側の道祖神はすたれてゆき、右側の、お地蔵様のような道祖神がニューファションとして登場してくる、とこういうわけです。

ためしに、現在まで残っている道祖神を見渡してください。圧倒的に、お地蔵様の形が優勢です。これはなぜかといえば、見た目が悪いとか、エロチックだから目立つところに置いておけないとか、そのような理由ではなく、むしろ、「マラ石信仰」が廃れたためだと思います。



「マラ石信仰」というのは「ディオニソス信仰」そのものです。これほど分かりやすい信仰はない。日本では何よりも「マラ石」を、いわゆる「子授けの神様」という形で受け入れているようです。




Clean-up of lovemaking (tengu04b.jpg--176x220)

その証拠に、飛鳥坐神社の神事をもう一度見てください。夫婦和合の神事が滞りなく完了すると、役員がお多福の着物のすそを広げて、後始末を手伝います。要するに、おこぼれを拭い取るわけです。この拭い取る紙が非常にえんぎが良いということになっています。



つまり、拭くの紙(ふくのかみ)と福の神(ふくのかみ)をもじっているわけです。神事の後、この紙を何枚となく観衆めがけて撒き散らすのですが、これをとって持ち帰れば、子宝に恵まれ、家内安全、福が訪れること間違いなしということで、写真に見るように、争って「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合います。




Throwing out luck-inviting papers (tengu05b.jpg--337x240)



信じられますか?これ、お札(お金)を投げているのではないのです。お札なら、私も仲間入りして、共に奪い合ったことでしょう。
お月様に、ロケットで行けるという時代に、子授けの神様をまだかなりの人たちが信じているのです。
この手を伸ばして「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合っている人たちの中には、おそらく、創価学会の信者、キリスト教徒、イスラム教徒はいないでしょう。



このように「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」というのは、分かりやすい信仰です。この信仰が廃れたのは、ギリシャやローマではキリスト教が起こったからです。日本では仏教が広まったためです。



ではなぜ、飛鳥坐神社には、

この神事が残ったの?




なぜなら、飛鳥坐神社に祭られている神様が反主流派の神様だからです。主流派の神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系列の神様のことです。つまり、現在の皇室の先祖とされている神様のことです。
現在の皇室の先祖は九州からやってきて、大和にあった古い王朝を倒して新しい王朝をたてました。
これが私たちが学校で教えられる大和朝廷です。この時の天皇が、現在まで続いていることになっています。



現在の皇室の先祖に倒された古い王朝の大王が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。この征服の話が古事記の中の神話では、
大国主命が現在の皇室の先祖に大和の国を譲ったことになっています。その後、娘の三日比売命(みかひめのみこと)を大和に残して大国主命は出雲に移ります。
この三日比売命は人質にとられたようなものです。神話の中では、この三日比売命は皇室をお守りしているということになっています。



もっと分かりやすく説明すれば、現在の皇室の先祖は、非常にむごいやり方で、前王朝の大王を殺して大和の国を奪い取ったわけです。
だから、たたりが怖かったのです。それで、前王朝の殺された人たちの霊を鎮魂するために飛鳥坐神社を含め、前王朝の由緒ある場所に、たくさんの神社を建てて鎮魂したというわけです。



「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」は、このような神社が建てられている頃にペルシャ人を通して日本へ持ち込まれたわけです。
まだ仏教が日本へ導入される前です。今でも、子授けの神様を信じる人が居るくらいですから、この当時、仏教も入ってくる前ですから、たくさんの信者がいたことでしょう。「マラ石信仰」は、当時としては、ニューファッションですから、飛鳥坐神社もマラ石を取り入れたわけです。
それが今に伝えられる御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体です。



しかし、やがて蘇我氏が政権を握って、仏教を導入します。当然のことながら、仏教以外の宗教を禁止します。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」も駄目な宗教の中に入ります。しかし、飛鳥坐神社は例外でした。

なぜか?


この神社には、現在の皇室の先祖にむごい仕打ちを受けて殺された霊が眠っているからです。
このむごいやり方で殺された古い王朝の大王たちの怨霊は、そおっとしておかねばなりません。さもないと、たたりをなして不吉な事件を起こし、現王朝を危機に陥(おとしい)れないとも限りません。



「触(さわ)らぬ神にたたりなし」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにこの言葉どおりです。
飛鳥坐神社は特別な神社です。

従って、もしこの神社が「マラ石」を祭っているのであるなら、当時の朝廷は許すしか仕様がなっかたのです。そのような理由で、この神社には奇祭といわれる神事が今に伝えられているというわけです。



では、次に亀石の謎に迫りたいと思います。



Mascot girl Himiko (himiko6.gif--172x280)

最後まで

読んでくれて


ありがとう。


面白そうなリンクを


下に並べました。


クリックして読んでね。


亀石の謎


猿石の謎


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。



聖徳太子の母親は


ペルシャ人だった?



蘇我氏は高句麗からやって来た


天智天皇は暗殺された


定慧出生の秘密


藤原鎌足と長男・定慧


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?



平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が

どうして残っていないの?



今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?



マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?






『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャのディオニソス神話』
より
(2003年8月2日)




あらっ。。。ずいぶん真面目な記事ではありませんか?



小百合さんも、そう思いますか?

。。。で、デンマンさん以外にも「あすかざじんじゃ」と読んでいる人が居るのですか?

調べてみましたよ。





「あすかざ」と入れて検索すると驚いたことに 1、010,000件も引っかかるのですよ。 しかも僕が書いた記事がトップと2番目に表示されるのです。(苦笑) でもねぇ、次の記事の中でも「あすかざじんじゃ」と読まれていますよ。




『桜井から飛鳥へ』




次の記事でも「あすかざじんじゃ」と読まれていますよ。



『卑弥呼の里観光案内』




まだあるのですよ。 次の記事の中でも「あすかざじんじゃ」と読まれています。



『いくらところ電話』




でもねぇ、飛鳥坐神社のホームページを見たのか? あるいは『ウィキペディア』で調べたのか? 「あすかざじんじゃ」と思っていたが「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと書いてあるぺージもありました。



『飛鳥坐神社おんだ祭り』



次のページでは「あすかじゃじんじゃ」と読むのではなく「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと分かって一人で感動しているのですよ。 (爆笑)



『宇奈多理坐高御魂神社』



次のページでは「あすかざじんじゃ」と読むのではなく「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと明言しています。 (微笑)



『そよ風と秋の飛鳥をぶらり』



それにしてもデンマンさんは、よく調べましたわね。



いや。。。別によく調べたわけでもないですよ。 GOOGLEで検索してトップから一つずつ見ていったのですよ。

。。。で、デンマンさんも納得したのですか?

納得しましたよ。 でもねぇ、固有名詞といえども、名前というものは時代とともに変わってゆくこともある。

マジで。。。?

例えば、次のように。。。


19世紀末にアメリカに移住した(ユダヤ人の)ブレークシュタイン一家

一家は姓をアメリカ風に変え、ブレークストーン家とブレッグストーン家に分かれた。

前者は乳製品で有名になり、後者のフィリップ・ブレッグストーンはシカゴで判事となった。




87ページ 『多民族の国アメリカ』
著者: ナンシー・グリーン
1997年3月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 創元社




でもねぇ、その名前の本人が、こう読んで欲しいと言ったら、その呼び方に訂正するべきだと僕も思いますよ。



つまり、飛鳥坐神社の神主さんが「あすかざじんじゃ」と読んでもかまわないと言ったら、そう読んでもよいとデンマンさんは思うのですか?

当然でしょう? でも、歴史家の中には間違っていることを認めないで被害者本人の気持ちを無視して精神的に苦しめている研究者も居る。




東中野の論法は、被害者の証言にたいしてもつかわれる。 南京事件当時、八歳の少女だった夏淑琴さんが一家九人も殺害され、四歳だった妹とともに孤児として生きなければならなかったことを証言したのにたいし、東中野は「夏淑琴が事実をありのままに語っていれば、証言に食い違いのおこるはずもなかった」、証言内容に「一点の食い違いがあってもならない」と、証言記録(これも本人ではなく聞いた者が記録したもの)によって年齢や家族数が一致していない、として夏淑琴さんを「ニセ被害者」と書いたのである。 この論法は、東中野が聞き取り調査資料の扱いの基本も知らないことを意味している。 聞き取り調査の場合、証言者の数や年、月日に関する記憶の誤りはさほど問題にならない。 大切なのは基本的な体験記憶である。 夏淑琴さんの証言ではこの体験記憶は一致している。

さらに、ドイツ外交官ローゼンの外交文書にあった夏淑琴さんの家族の惨劇の場面の報告で、夏さんを bayoneted とあるのを「銃剣で突き殺した」と訳して(「銃剣で突き刺した」と訳すべきところ)、夏さんが死んだことにし、その後に the 8-year old girl が負傷して生き残ったと記されているのを、the(その)とある意味が理解できずに、生き残ったのは夏さんでなく、別の少女である、つまり夏淑琴さんは死んだはずなので、負傷して生存したと証言している夏淑琴さんは「ニセ被害者」であるというのである。 英文の初歩的な誤訳にもとづいて、夏淑琴さんを「ニセ被害者」と断定してはばからないのである。

日本人の研究者に「ニセ被害者」と書かれた夏淑琴さんは心に大きな衝撃と傷を受け、憤りと無念さで精神不安定な状態に陥った。 その怒りと悲しみから東中野の本を名誉毀損で提訴したのである(2006年6月)。 夏淑琴さんが来日、東京地裁の法廷に立って、「東中野に直接申し上げたい」と証言したが、東中野は法廷にあらわれることなく、準備書面で自分は「学問的な見解を述べたまで」と繰りかえし、自分の言論が被害者の夏淑琴さんの心を傷つけた「第二の罪」を犯しているという自覚はまったくない。

同裁判の東京地裁の判決が2007年11月2日に出され、夏淑琴さんの名誉毀損を認定し、慰謝料など400万円の支払いを命じた。 判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と言い切った。 東中野の研究者としての資格を否定する厳しいものである。 東中野は「非常に心外だ。控訴する方針だ」とのコメントを出したという(『朝日新聞』2007年11月3日)。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




247 - 249ページ 『南京事件論争史』
著者: 笠原十九司
2007年12月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

『冠詞の悲劇(2011年6月5日)』に掲載




でも、上のお話は名前の読み間違いとは違うと思いますわ。



もちろん、僕も分かっているつもりです。 僕はただ、間違いを認めるか認めないかの心の問題を取り挙げたのです。 本人の気持ちが大切だということですよ。 要するに、飛鳥坐神社の神主さんが「あすかざじんじゃ」と読まれると、ご神体が不機嫌になるから「あすかにいますじんじゃ」と読んで欲しいと言えば、神主さんの気持ちを尊重して僕は呼び方を変えるべきだと思ったわけですよ。

つまり、デンマンさんは素直に「あすかにいますじんじゃ」だと認めるのですわね?

いや。。。「あすかにますじんじゃ」と呼びますよ。

コメントに書いてあったからですか?

いや。。。GOOGLEで調べたら、「あすかにますじんじゃ」の方が、めっぽう多かった。







「あすかにいますじんじゃ」は 86,300件。 「あすかにますじんじゃ」は 5,690,000件なんですよ。 これだけ使われていれば、「あすかにますじんじゃ」と呼ぶほかないでしょう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かにそうですわよね。
ご本人がこう読んで欲しいと言ったら、そのように呼ぶべきですわよね。

ところで、あたくしの名前は「卑弥子」でござ~♪~ますわ。
あの有名な古代の「卑弥呼」さんと混同しないでくださいまし。

とにかく、また、あさっても面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

世界の三大美人って知ってますか?

楊貴妃、クレオパトラと小野小町ですって。。。

でもね、欧米で“小野小町”と言っても

理解してもらえませんわ。

Beauty is in the eyes of the beholder.

“美人って見る人によって違うのよ。”

どの国にも、このような言い方がありますよね。

ところで、ネットを見ていたら次のようなサイトがありました。

Top Ten Most Beautiful Women In The World

1. Catherine Zeta Jones

2. Alessandra Ambrosio

3. Adriana Lima

4. Josie Maran

5. Zhang Ziyi

6. Eva Green

7. Scarlett Johansson

8. Natalie Portman

9. Jennifer Connelly

10. Aishwarya Rai

http://hubpages.com/request/975/best

あなたは、どう思いますか?

ところで、これまで書いた小百合さんの記事を集めて

デンマンさんが一つにまとめました。

もし、小百合さんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『小百合物語 特集』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしてくださいね。

じゃあね。


0 件のコメント:

コメントを投稿