2011年6月8日水曜日

定慧と小百合の物語(PART 2)

 


定慧と小百合の物語(PART 2)











でも、ずいぶんとお話には飛躍があると思うのですわ。 おそらく誰もまともには信じないと思うのです。







うん。。。そうかもしれません。 でもねぇ、歴史なんてそのようなものですよ。 『古事記』にしろ『日本書紀』にしろ、この2つの歴史書は言ってみれば藤原氏が自分たちが日本古来からの氏族だということを当時の人々に、また後世の我々に伝えるために書かせたものですよ。



何のためにですか?



要するに、藤原氏が権力の座に着いたことを正当化するためですよ。 勝てば官軍ですからね。 勝ち組の都合の良いように書いたものが『古事記』であり、『日本書紀』なのですよ。



でも、どうして定慧さんと私とデンマンさんの祖先を結び付けなければならないのですか?



あのねぇ、定慧さんの祖先、つまり、藤原氏の祖先と僕と小百合さんの祖先は同郷なのですよ。



あらっ。。。定慧さんの祖先と、私とデンマンさんの祖先は百済に住んでいたのですか?



その通りですよ。



そのような事を言っても誰も信じませんわ。



あのねぇ、これまでの話をじっくりと読めば、定慧さんと小百合さんと僕には共通するものがあるのですよ。



何が。。。?



何がってぇ、小百合さんもこれまでの話をじっくりと読んだのでしょう?



もちろんですわ。



だったら、3人のDNAに“海外飛躍遺伝子”が焼きついている事が分かるでしょう?



でも、海外に行く日本人のDNAに“海外飛躍遺伝子”が焼きついているとするならば、そのような人は日本にも何千万人と居ますわ。



あのねぇ、単なる海外旅行者と、定慧さんと小百合さんと僕を一緒にしないでくださいよ。 定慧さんは11歳の時に遣唐使船に乗って生きるか死ぬかの怖い思いをしながら唐に渡ったのですよ。 それから10年近い歳月を唐と百済で過ごしたのです。 小百合さんも生きるか死ぬかは別として20年ほど前にカナダにやって来た。 そこで人生の転機を迎えたのですよ。









Subj:長い電話お疲れ様でした。



Date: 01/10/2007 1:52:14 AM

Pacific Daylight Saving Time

日本時間: 10月1日 午後5時52分

From: fuji@adagio.ocn.ne.jp

To: barclay1720@aol.com




長い電話お疲れ様でした。

良くわかりました。



経理をしなくてはいけない。

それも13年分。

誰にたのもうか?

レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、

デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。



いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。
 
バーナビーで夏休みを過ごすことは

毎年私の支えの時間でした。




あの古い家は、夏休みで休むというより

ペンキ、芝のクローバむしり、

りんごの木の手入れ、

玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、

しばらくみがかないガラス、

シミだらけのじゅうたん、

BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、

行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが

また戻りたいと思っていました。



実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。

と今年決意しました。



こんな私でも欲しい物があります。

別荘です。

場所は長野です。

買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。

よかったらデンマンさんも。



日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。



でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は

私の人生にとって良かったと思います。


ではまた。。。



小百合より







『カナダのバーナビー』より

(2008年11月18日)








13年間借りていた“山の家”で小百合さんは定慧さんのように人生を深く考えながら生活したのですよ。







デンマンさんは、マジで私が定慧さんのように13年間人生を深く考えながら生活したと信じているのですか?



もちろんですよ。



。。。で、デンマンさんの場合は。。。?



僕の場合は人生の半分以上を海外で暮らしていますからね。 34カ国に及ぶ国々を放浪してバンクーバーに安住の地を見つけたのですよ。 もちろん、生きるか死ぬかの怖い思いをしたのは5度や6度ではなかった。 暗殺されるようなことはなかったけれど、現在こうして生きているのが不思議なくらいですよ。



私とデンマンさんの生活は、確かに平均的な日本人と比べれば、定慧さんのような波乱に飛んでいる生活かもしれません。 でも、ただそれだけで定慧さんと結びつけるのは飛躍のし過ぎだと思いますわ。



あのねぇ、そこですよ。 確かに、これだけでは誰だって信じないでしょうね。



だから、他にどのような強烈に説得できる材料があるのですか?



ジューンさんの話ですよ。 



袖触れ合うも他生の縁



これですよ。 僕と小百合さんの出会いも「袖触れ合うも他生の縁」なのですよ。



。。。で、デンマンさんと私と定慧さんの出会いも「袖触れ合うも他生の縁」なのですよ。



そうですよ。



どういうわけで。。。?



やだなあああァ~。。。ここまで話してきて、小百合さんには、まだ分からないのですか?



分かりませんわ。



ロマンですよ。 小百合さんにもロマンがあったのですよ。 13年間も海外に別荘を借りる人なんて、日本人の中には、そうざらには居ません。 また、僕のように34カ国も放浪する人だって、日本人にはあまり居ないでしょう。



。。。で、定慧さんもロマンを持って唐に出かけたのですか? いや、11歳の当時はロマンもヘチマも持っていなかったでしょうね。 うししししし。。。でもねぇ、 あとで藤原鎌足から大切な使命を聞かされたのですよ。



どのような使命だったのですか?



あのねぇ、定慧さんは天智天皇が放った刺客の手によって暗殺されたのですよ。



マジで。。。?



当然です。



どうして。。。?



唐と新羅の連合軍のスパイになって日本へ帰ってきたと天智天皇は疑ってしまったのですよ。 天智天皇は疑り深い人だった。 その性格のために、彼の猜疑心のために何人もの人がこの人によって殺された。



。。。で定慧さんのロマンとは、どのようなものだったのですか?



定慧さんは唐と新羅の連合軍のスパイなどではなかった。 父親である鎌足の要請を受けて唐と新羅と百済の情勢をつぶさに見て調べてきた。 もし無事に生きていたら、藤原鎌足の長男として次男の藤原不比等を凌(しの)ぐような素晴らしい政治を行っていたに違いないのですよ。



だから、定慧さんのロマンとは何なのですか?



もちろん、歴史ロマンですよ。 “海外飛躍遺伝子”が織り成す歴史ロマンですよ。 定慧さんの短い生涯にも十分に歴史ロマンを感じさせるものがある。 そして小百合さんの半生にもロマンが感じられる。 もちろん、僕も歴史ロマンを意識しながら生活している。



要するに“海外飛躍遺伝子”とロマンを無理やり結びつけたのですわね?



僕が無理やり結びつけたように小百合さんには見えるのですか?



多分、この記事を読んでいる人も、そう感じると思いますわ。



でもねぇ、海外で10年以上暮らせば、僕が言おうとしていることが理解できるはずです。 (微笑)




【卑弥子の独り言】







ですってぇ~。。。

確かに飛躍したお話でござ~♪~ますわ。

でも、これほどまでにこじつけると、もう呆れて何も言う気が起こりませんよね。

あなただってぇ、そう思うでしょう?



とにかく次回も面白くなりそうですわ。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。












ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、



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こんにちは。ジューンです。



定慧さんは子供のときに出家したのです。



長男なのにどうして出家しなければならなかったのか?



それには複雑な家庭の事情があったのです。



出家しないと命の危険さえあったのです。



つまり出家するということは



人間にある全ての欲を絶つことでした。



色欲、物欲、権力欲を捨てることです。



こうすることによって定慧さんは



世俗の権力欲がないことを世間に示したのです。



そうでない限り天智天皇の猜疑心は



たとえ子供であろうとも



殺してしまいかねないほどだったのです。



当時、僧を目指すということは、



言葉を換えれば人間にある全ての欲を絶つことでした。



相当な覚悟とそれに打ち勝つ強靭な精神力が



必要だったのですわ。



生半可な人間にはとうてい真似の出来ないことでした。



ちなみに、江戸時代になってから



ずいぶんと笑い者にされた道鏡さんは



実は優秀な人だったそうです。



語学にも才能があったと見え、



留学僧でもない道鏡さんが兄弟子・良弁に付き添って



唐招提寺に居る鑑真さんを訪れた時、



二人の会話が理解できたと言います。



道鏡さんはさらに難解なサンスクリット語にも



精通していたのです。



辞書も教科書も、ましてやテープもない時代に



異国語を習得することは大変なことでした。



あなただって、想像がつくでしょう?



だから、道鏡さんが相当の頭脳の持ち主であったことは



まず間違いないようです。



でも当時、悪い僧侶も確かに居ました。



仏教が隆盛するに伴い、



様々な問題も現れ始めていたのです。



まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきました。



生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、



勝手に出家し僧を名乗るようになってきたのです。



これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える



“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決めました。



それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて



日本にやって来たというわけです。



以来、僧侶として認められるためには、



“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。



この“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を



持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、



そして東国の下野(しもつけ)薬師寺の



3カ所と定められました。



これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。



道鏡さんのレベルの僧侶になると、



セックスにむちゃくちゃをするような僧は



まずその地位を保つことが出来ません。



この当時の宗教界は、それ程腐ってはいません。



とにかく鑑真和上が居た頃の話ですから。。。







ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような



恋物語がありますわ。



関心があったらぜひ次のリンクをクリックして



じっくりと読んでみてくださいね。



『平助さんが卑弥子さんに



恋をしたのがウンのつき』




では、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょうね。



じゃあね。








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